明治12年 (1879年) 9月 | 内務省の命により駒込避病院設立 |
明治30年 (1897年) 5月 | 東京市へ移管、伝染病院として発足 |
昭和18年 (1943年) 7月 | 都制実施に伴い、都立病院となる |
昭和50年 (1975年) 4月 | 新病院開設 |
平成10年 (1998年) 4月 | 新GCP施行に伴い、治験事務局を設置 |
平成12年 (2000年) 10月 | 東京都指定二次救急医療機関に指定 |
平成17年 (2005年) 6月 | 創立125周年記念式典を挙行 |
平成19年 (2007年) 8月 | エイズ診療中核拠点病院に指定 |
平成20年 (2008年) 2月 | 都道府県がん診療連携拠点病院に指定 |
平成21年 (2009年) 4月 | PFI事業による病院運営開始 |
平成22年 (2010年) 5月 | 東京都指定第一種感染症指定医療機関に指定 |
平成23年 (2011年) 9月 | リニューアルオープン開院式を挙行 |
平成24年 (2012年) 11月 | 病院機能評価(Ver.6.0)に更新認定 |
平成25年 (2013年) 10月 | 造血幹細胞移植推進拠点病院に指定 |
平成28年 (2016年) 12月 | 病院機能評価(3rdG: Ver.1.1)に更新認定 |
平成29年 (2017年) 4月 | HCU開設 |
平成30年 (2018年) 10月 | がんゲノム医療連携病院に指定 |
平成30年 (2018年) 12月 | 外国人患者受入れ医療機関認証制度(JMIP)認証 |
令和元年 (2019年) 9月 | がんゲノム医療拠点病院に指定 |
令和5年 (2023年) 4月 | がんゲノム医療連携病院に指定 |
駒込ピペットの由来
駒込ピペットは、写真1のように上部にゴム乳頭を備え、ピペット管の上3分の一の部分に膨らみをもたせたスポイト状のピペットです。容積は1~20mlのものが多く、目盛りのあるものとないものがあります。毒性のある化学溶液、細菌液、刺激性物質を採取・希釈する時などに使用されます。迅速・安全に採取でき大変便利であり、わが国では化学、医学、生物学分野や高校の化学実験などにも使われています。また、英語名Komagome Pipetteとして世界的にも広く用いられています。しかし、採取量は精度が高くなく、微量の精度が要求される場合には適当でなく、最近では以前ほど使用頻度は高くなくなりました。
駒込病院は明治12年(1879)にコレラの避病院として設立され、その後、伝染病院として数多く業績をあげてきました。駒込ピペットは当院が伝染病院として活躍していた1920年代に、作製されたピペットです。ピペットの作製に関する文献はありませんので、理化学機械の歴史に詳しく本も著している木下義夫氏に話を伺いました。木下氏の話では「かつて、駒込病院は伝染病患者を収容し治療することを目的としていたので、臨床医学はピペットを多量に必要としていました。しかも、危険な伝染病菌をあつかうので、安全・確実・迅速にサンプルを採取したり希釈する必要性がありました。使用したピペットは、伝染性のある危険な細菌やウイルスの付着があるため、使い捨てとしました。使い捨てにするためには、値段を安くする必要があります。そこで、計量器検定を必要としないピペットとして、安価に作製されたのが、駒込ピペットであるということであります。
作製者は、今より80年ほど以前の駒込病院長の二木謙三先生が、考案したということです」ということでありました。 当時、伝染病患者から採取した検体を検査するにあたり、ピペットを口で吸うのは極めて危険なことであり、安全性の見地からもスポイト状の使い捨て型のデスポ・ピペットを世界に先駆けて開発したものと推察されます。一見、変哲もないようでありますが、極めて独創的かつ実用的発想で、その後、この駒込ピペットが世界的に普及したのも当然なことと思われます。
二木謙三先生については、当時、注文に応じてピペットを作製・販売した小林商店に、尋ねたところ先・先代社長小林吉次郎が、駒込病院第5代院長二木謙三先生に依頼をうけて、ピペットを作製したのが最初であるということでした。
二木謙三先生(写真2)は、1873年秋田に生まれ、1901年東京帝国大学を卒業後、直ちに駒込病院に就職し、コレラ菌、赤痢菌の研究で新型菌(駒込A, B菌)を発見しています。ドイツ留学後、駒込病院副院長、1915年鼠咬症スピロヘーターを発見、1919年から1931年まで駒込病院第5代院長を務められています。駒込ピペットは院長時代の1920年代に作製されたものと思われます。1921年からは東京帝大教授も兼任され、1955年には文化勲章を受章されております。
【参考】日本化学会編集:教育現場からの化学Q&A、丸善