2021.3.23
この文章を書いているのは、2021年3月23日です。松沢病院長としての任期はあと8日になりました。
さて、政府は二度目の緊急事態宣言解除の方針を決めました。これ以上続けても国民にそっぽを向かれるだけだからという消極的な選択のように見えます。2月23日にGO TOイートプレミアム食事券の発売を再開した宮城県では、瞬く間に感染再拡大が起こり、3月16日には再度、食事券発売停止、県知事が県独自の緊急事態宣言を発令する事態に追い込まれています。あまりの馬鹿馬鹿しさに言葉もありません。
飲食店や観光業などの経済的打撃が拡大し、これらの仕事に従事していた人の収入が減ったり小規模事業者の事業継続が困難になったりといった深刻な経済的問題があるのは事実でしょう。しかし一方で、2月5日に総務省が発表した家計調査では、2020年、2人以上世帯の貯蓄が2000年以降最大の伸びを示したとされています。これは、国民一律に10万円配るという拙速な政策が如何に愚かであったかの証左であろうと私は思います。一律10万円のばらまき政策では、単身世帯、一人親世帯、老々世帯等、本当に支援が必要な低所得の世帯には10万円~20万円しか届きません。1年以上に渡る自粛生活を強いられているとき、困窮する世帯にとって10万円は焼け石に水だったでしょう。一方で、所得が元々高い世帯では、一般に世帯人数が多いために、困窮世帯より多くのお金が配られ、それらがみな貯蓄に回ったということです。給与を補償されている大企業の正規雇用社員や公務員は、当面使う必要のない10万円×家族の人数分の特別ボーナスを受け取ったのと同じです。加えて、旅行業が不振だからGO TOトラベル、飲食店を支援するためにGO TOイートという安易な政策が、この間の感染コントロールの効果を破壊して感染を拡大し、かえってこれらの事業を難しくしているように見えます。現在、私たちの社会を覆っている低所得世帯の経済問題は、コロナ禍と呼ぶより、政治・行政禍と呼ぶ方が適切です。
さて、この1年、松沢病院では200人以上の新型コロナウイルス感染者を受け入れ、入院時発熱や感冒症状など、感染が疑われる精神科救急患者等について、延べ1000件を超えるPCR検査を行ってきました。この1年間の経験、我が国の医療政策、精神医療政策の課題がいくつか明らかになりました。
一つ目の課題は、高齢者の感染感受性を高める社会的な要因に配慮が足りなかったということです。3月20日の日経新聞によると、これまでに確認されたクラスター5,491件のうち、高齢者施設が最も多く1,131件を占めたと報じています。二回目の緊急事態宣言の後、1月13日~3月15日までのデータでも、高齢者施設が32.2%と最も多く、続いて医療機関が20.5%となっています。松沢病院に感染確認後に入院した患者の年齢は、男性患者は21歳から96歳、平均66歳、中間値67歳、女性患者では20歳から102歳、平均70歳、中間値73歳でした。歌舞伎町のクラブやガールズバーで感染した数人をのぞけば、多くは精神科病院、入所・通所施設内で集団感染した高齢者です。このほか、在宅介護を受けていた高齢者が家族内感染で罹患したケースもありました。ちなみに、精神科病院のクラスターに巻き込まれた患者の多くは、精神疾患としては慢性期の高齢者です。これらの人たちは、自分で感染リスクの高い行動をしたわけではありません。精神科の閉鎖病棟、高齢者施設は、本人の意思とは関わりなく人の行動を制限し、狭い空間に閉じ込めています。認知症のデイサービスも同様で高齢者が、自分の意思とは関わりなく集められた場所で、家族以外の人との接触を強いられています。閉じ込めるとか、強いられるとかいう言葉遣いに抵抗を感じる方も多いかも知れませんが、高齢者の側からみればそうなります。つまり、今回のパンデミックでは、私たちの社会が社会福祉の一環と思って作ってきたシステムが、元々加齢によって感染感受性が高まっている一群の人たちの感染リスクをさらに高めてしまったということになります。単に高齢者であるとか、基礎疾患があるとかいった生物学的要因だけでなく、私たちの社会が作り出した、いわば社会的感染感受性の高さについて、私たちは無警戒でした。本人の意思に関わらず、医療や介護を口実に他人の自由を制限するなら、制限する側が、自由を奪われる側の感染拡大リスクに配慮するのは当然でしょう。松沢病院では、昨年4月以来、自分が感染しても周囲に感染させるな、濃厚接触者を作るな、ということを合い言葉に感染防御に努めてきました。幸いにして、これまでのところ、院内感染は確認されていませんが、人の入れ替わりの多い年度末、年度初めを迎え、引き続き、緊張感を絶やさず頑張ってもらいたいと思います。
二つ目の課題は精神医療体制の脆弱性です。高齢者施設でのクラスターがどのようにマネジメントされたのかについて語るべき情報を持っていないので、こちらについてはなんとも言えません。松沢病院だけの経験でいえば、入院を引き受けた高齢者施設でのクラスターは病院に比較して規模が小さく、施設からの感染者受け入れ、治療後の退院については大きな問題は起こりませんでした。しかし、これは、東京のように医療資源の豊かなところだけの話かもしれません。精神科病院でのクラスターは、大きく二極化しているように見えます。医師や看護師の配置が充実していて積極的に急性期医療をしている病院は、クラスターが起こってもその後の対応が比較的円滑に行われ、感染のコントロールも早期に終了したのに対して、長期療養を主眼とするような病院の慢性期病棟で発生したクラスターはコントロールがうまくいかず、新規感染者の発生がなかなか止まらなかったのです。松沢病院は、昨年の6月以来、クラスターコントロールがうまくできていない病院に、内科、精神科の医師、感染管理専門の看護師、PSWからなる松沢病院コロナチームを派遣し、現地で先方の病院職員と協議して患者の受け入れスケジュールを決め、先方が対応できる範囲でゾーニング等の感染防止の手伝いをしています。最初にコロナチームを派遣した後、保健所や都庁の調整会議は、松沢病院がかき回さなければもっとうまくいったと言っていましたが、私たちの評価は全く逆で、適切なときに派遣して、当該病院の状況を把握できたからこそ、松沢病院や他の都立総合病院の対応能力を有効に利用できたのだと思っています。最近では、都庁から松沢のコロナチーム派遣を依頼されるようになりました。クラスター発生予防の目的で、感染防護対策チェックのために呼んでくれる民間病院もあり、そういう要請があれば喜んで職員を派遣しています。こういう利用のされ方は、公務員冥利に尽きます。
クラスターが爆発した後、私たちがコロナチームを派遣した病院には、私たちより先に、地元保健所、都庁の精神保健医療課、厚労省のコロナチームなどが入り、指導をしていましたが、それらは必ずしもうまくいっていませんでした。その理由を想像すると、これらの行政機関は、民間精神科病院の現実を知らないか、あえて実情から目をそらして、あるべき姿を目標にした「指導」をしたために、感染拡大に歯止めがかからなかったのではないかと思います。精神科の病院には医療法の精神科特例というのがあって、医師も看護師も一般病床より少なく設定されています。例えば、長期入院の慢性患者ばかりの精神科病院だと、60床の病棟に医師1.25人、看護職員15人がいれば良いことになっていますが、看護職員のうち3人は看護助手でも良く、さらに看護師12人のうち、看護業務として定められた医療行為すべてを行う事が出来る正看護師は40%、つまり5人いればよいということになっています。医師の1.25人というのは当直要員も含みますから、日勤の医師は1人ないしそれ以下です。医師が感染するか濃厚接触者になれば、たいまち、その病棟から医師がいなくなります。隣の病棟の担当医が業務を兼ねるとすると、この医師は一人で120床を受け持つことになります。看護職員も同様で、正看護師2人が感染し一緒に食事をした3人が濃厚接触になれば、たちまち60床の病棟の看護業務はストップします。こういうところに行政が乗り込んで、杓子定規な指導をしても、指導される側に応じる能力がないのでどうにもなりません。その結果、病棟に閉じ込められた患者さんの間を、医学的知識やスキルが十分でない職員が動き回ることによって感染の連鎖がなかなか収まらないのです。精神科特例は、平時でも医療行為をするためにはギリギリの医師、看護配置ですから、職員の感染が起こればたちまち医療が崩壊します。これは、個々の精神科病院の問題ではなく、こういう脆弱性を放置した行政の責任です。
三つ目の課題は、厚労省、東京都、保健所、一番身近なところでは、都立病院をマネジメントする官僚レベルまで、すべての行政機構が機能不全を露呈したということです。これは、過去10年以上にわたってこの国に起こった政治の劣化と密接に関わっていると思うのですが、この話をし始めると終わらないので詳細は別の機会に改めて論じたいと思います。松沢病院では現業職員や病院のロジスティクスを担う民間企業の職員は献身的に働いてくれましたが、都庁の病院経営本部や松沢病院の事務系管理職が、コロナウイルス感染との戦う現業職員を支えてくれていると実感したことは、今日まで一度もありません。
3月17日、日本経済新聞が、都内のコロナ対策重点拠点となっている都立・公社病院の半数でワクチン接種が始まっていないと報じました。松沢病院でも3月22日現在、ワクチン入手の目処はまったくたっていません。都庁の病院経営本部は、ワクチンについては仕切らないし、仕切る気もないと早々に伝えてきました。日経の記事の終わりには、「基本型施設であるかどうかや、コロナ患者の入院患者数などいくつかの指標を踏まえ、総合的に判断して順番を決めている。都立だからと優先するわけにはいかない」という都庁のコメントがついています。この他人事のようなコメントや指示は、直接の効果として都立・公社病院職員のモティベーションを下げただけでなく、間接的には、官僚機構が、病院のような事業体経営のセンスを欠いているということを証明していると私は思います。
先週、ある日、青空に突き刺さっていたケヤキの枝先がかすかにけぶったかと思うと、その翌日にはもう、枝の先端が萌葱色ににじみ始めました。春になったのです。今日はもう、コローの風景画のような萌える若葉をはっきりと見ることができます。数日すれば焦げ茶色の枝は新緑で覆いつくされ、今は枝の間に透けて見えている空が見えなくなります。私は、日一日と変化していく春のケヤキを、院長室の窓から眺めるのが好きでした。しかし、それも今春限りです。院長コラムもこれにて千秋楽、長い間ありがとうございました。幸福な9年間でした。