2000.10月号
ほぼ半年のご無沙汰でした。皆様お元気のことと思います。4年以上にわたり「連携だより」に連載して参りました「歯科のコラム」は、諸般の事情から当院のホームページでの掲載となりました。今後も途切れることなく続けるつもりでおります。今までと変わらずご愛読いただければ幸いです。
今月は初夏の夜の出来事をご紹介します。診療の疲労と晩酌のビールが程良い相乗効果を生み、ぐっすりと寝込んでいた深夜、枕元の電話がけたたましく鳴りました。ある連携歯科医院で埋伏智歯を抜歯した患者さんの出血が止まらず、ガーゼで圧迫して様子を見ていましたが、顎下部から頸部にかけて大きく腫脹してきたため、救急車で当院に来ているとの電話でした。
押っ取り刀で深夜の救急室にタクシーを拾って駆けつけますと、若い男性の患者さんと術者が待っていらっしゃいました。抜歯窩はしっかりと縫合されており、抜歯窩からの出血は止まっておりました。ただ、抜歯窩に連なる右顎下部の腫脹が顕著で、気道圧迫による呼吸困難を懸念したのが患者さんを見た時の第一印象でした。抜歯を始めたのが8時頃と聞き、術後の浮腫にしては、やや早すぎる感もしました。パントモを撮ってみたところ、抜歯窩と下歯槽管は明らかに交通しており、"超"難抜歯であることが伺えました。
入院で様子をみることとし、患部の感染予防のため抗生剤の点滴を開始しました。抜歯後かなりの時間が経過しており、患者さんは圧迫ガーゼを強く咬んでいることができず、しきりと強い痛みを訴えます。ボルタレン(ジクロフェナクナトリウム)の座薬も効きません。強い腫脹にも拘わらず、懸念された呼吸苦の訴えがないので、鎮静目的でロヒプノール(フルニトラゼパム)1A を呼吸に注意しながら投与したところ、やっと寝付かれました。万が一、気道が圧迫されたなら気管内挿管か気管切開を当直医にお願いして、家に戻ったのが夜中の2時を回っておりました。
翌朝、少々腫れることは予想しておりましたが、病室に行って驚きました。前の晩に右側に限局していた腫脹が左側にも及び、頸部全体が大きく膨れ上がった状態となっていました。鳴いている蛙の喉のようだったのです。更に驚いたことに、舌下にゼリー状の大きな血餅があり、これが舌を上方に押し上げておりました。吸引器でこの血餅を除去しようとしましたが吸えません。よく見ますと血餅と見えたのは、舌下全体に広がった血腫で、口腔底の薄い粘膜を通してあたかも 血餅のように見えていたのでした。血の色をしたガマ腫を想像いただければと思います。
患者さんは痛みのために圧迫ガーゼをしっかりとは咬めなかったため、結合組織が比較的粗な口腔底へ抜歯窩からの内出血が続いた結果でした。幸いなことに著しい腫脹にも拘わらず、呼吸困難はありませんでした。
引き続いて消炎・鎮痛に努めた結果、4,5日してようやく腫脹は引き始め、10日後にはほぼ正常の顔貌に戻りました。しかし、頸部の皮膚全体に、内出血が吸収されたことを物語る緑黄色の跡が生々しく残っておりました。四半世紀以上歯科医をやってきて、これほど激しい抜歯後の内出血は初めてでした。
例え夜でも緊急を要する患者さんにつきましては、このように対応いたします。難しい患者さんをお引き受けする毎日がきついとは思いません。急患をお引き受けできることで、われわれの腕と度胸と判断力を向上させられる、ありがたい職場に置かれております。
今年、歯科医師会の新年会にお招きに預かりました。ある連携医の先生から「おたくは我々開業医の駆け込み寺だよ」と言っていただきました。我々の目指すところであり、喜びであります。