2015年9月号 僅かなことばでも

2015.9月号

 診療室に失語症の患者さんがお見えになることがあると思います。お互い言いたいことが伝わらず、意思の疎通ができないため患者さんもこちらもイライラしてしまうこともあるでしょう。脳卒中の後遺症としてとらえられることが多い失語ですが、麻痺もなく判断力や記憶力も正常でありながら、ことばが出てこなかったり、ことばのやりとりがうまくできなかったりする方もいらっしゃいます。失語症の症状や重症度は個人差が大きく、その人に合った対応が大切です。会話は忙しい診療中であっても焦らさず、ゆったりとした雰囲気をつくることが基本です。話しかける時はゆっくりとわかりやすいことばを使うことを心掛けますが、しゃべることだけではなく、聞いて理解することも難しい場合があります。

 ある患者さんは、次回の診療日を決める時に「○月×日でいかがでしょうか?」と話しかけることでは理解しにくいようでした。「聞く」ことだけではうまく理解できない時には「見る」ことを手掛かりにすることもよいようです。この方にはカレンダーを見せてその日を指し示してあげることでスムーズに伝えることができました。

 もう一人の方は10年以上のお付き合いですが、30代の若さで出産直後に脳梗塞を発症し、杖歩行となっています。いつもにこやかに来院されますが、彼女からは「はい」「おはよう」などの短いメッセージしか届きません。文章としてのことばはほとんど言えず重症の失語症ですが、こちらからの会話はほぼ理解できていますので、自分のストレスはありません。彼女から最も多く聞かれる言葉が一つあります。限られた単語レベルの発語と言う状況でお母様がこれだけは、とトレーニングされた言葉がなんと「ありがとう」なのです。感謝の気持ちを伝え、相手を不快にしないこれだけのキーワードがあるでしょうか。こちらがお礼を言わなければなりません。

歯科コラム