2001年5月号 歯科界のクロサワ?

2001.5月号

 1981年の暮れ、大学の歯科麻酔科の医局長をしていた頃のことです。教授が術前検査から導入・維持・覚醒に至る全身麻酔の流れを教育ビデオにしようと思い立ちました。予算は当時で250万円、脚本を書くよう私に白羽の矢が立ちました。最近は月に4,5冊は本を読むようになった私ですが、若い頃は日に3つも映画館をハシゴしたことも少なくない映像人間でありました。脚本など書いたことはなかったのですが、主役をやらせてもらえるという話が魅力的で引き受けました。場面説明用の余白がついた脚本原稿用紙に、年末年始の休みを返上して向かいました。
 撮影は2日間、初日には患者さんがいなくても撮れる場面-例えば麻酔の準備風景-などを集中して撮影し、2日目には手術室での全身麻酔・口外手術の実写です。こちらは撮り直しがききません。ロケやスタジオで撮り分けた場面を繋ぎ合わせて映画ができることは知っていたので、想像力を総動員して段取りを考え、1日目、2日目と脚本を書き分けました。ビデオ製作会社の監督さんが、撮影前の打ち合わせで「脚本にほとんど手を加える必要がありませんでしたが、どこかで映画を作ったご経験がおありですか?」と持ち上げてくれました。撮影が始まりました。カット割りごとに何度かリハーサルをやってはテープを巻き戻して出来映えをチェックします。限られた時間の中でカメラや照明の位置にこだわる、プロの意気込みが伝わってきました。例えば、口腔外科医の術前の手洗い場面を撮ったときのことです。巻き戻してチェックした画面はとてもきれいでした。ところが監督さんはOKを出しません。撮影スタッフも当然のことのように再び準備にかかります。「私にはきれいに思えますが?」と尋ねると、「洗面台の一部がライトに反射してテカっているのが気になります」との答えが返ってきました。スタッフが洗面台の凸面に固い石鹸を丹念に塗って、テカらないように仕上げ、撮り直しに臨みます。「画面を1ミリでも外れた部分はどうでもいいのですが、画面の中だけはきれいにするのです。黒沢監督ほど時間とお金をもらえるなら、いいものを創ってやるという自負は、この世界に住む誰にでもあります。」ともおっしゃいました。
 撮影後しばらくしてビデオの編集につき合いました。当時のビデオは映画フィルムのように自由自在に前後の切り張りができず、話の流れ通りに頭から編集していかなければなりませんでした。わずか20分の作品でしたが徹夜の作業となりました。その後、音入れです。どこかの放送局のアナウンサーが参加しました。プロの声はさすがにハンサムだと感心しました。専門用語の言い回しについては、しつこいほど尋ねられました。さらに、言い回しの不確かな言葉については使い込まれた「アクセント辞典」を引き、何度もつぶやいてから収録に臨みます。そんな辞典のあることすら知りませんでした。ビデオ製作過程の最初から最後まで参加し、医業とは全く違う世界に生きる'匠'たちの仕事ぶりに接しられたビデオづくりでした。

 若い女性の中には、体の線のきれいな頃の記録としてヌードを撮る人がいると聞きます。これと同様、ビデオの中で30歳になり立ての若かった自分に会うことができます。「パパがテレビに出ている!」と無邪気に喜んだ長女も、「洗濯物はパパのと一緒に洗わないで!」を経て、この間片づきました。

歯科コラム