2003.6月号
20年程前、母校の歯科麻酔科で医局長をしていた頃のことです。国際協力事業団の依頼でインドネシアはバンドンのパジャジャラン大学から麻酔研修医を受け入れていました。ある時、この大学歯学部の創立25周年記念式典への招待状が教授に届きました。旅費や滞在費は自前です。ブロークン英語を使う私が代々の研修医の世話をしておりました。「休暇をあげるから、ボクの名代として自費で式典に出ていらっしゃい。」とありがたい仰せを受けました。
初めての海外旅行でした。一人旅です。初めて踏む外国の土はバリ島と決め、ここでのんびりしたあとジャワ島に渡るコ-スを採りました。バリはゆったりと時が流れる地上の楽園でした。現地の空港で3万円をルピアに交換したら、財布が折れないほど分厚くなり、円の強さを知りました。
パジャジャラン大学では記念講演を30分する予定でした。「タイガーズファン、イチバーン!」とカタコトを叫ぶ助っ人が観衆に受けます。現地語でスピーチしたらもっと受けるに違いないと、冒頭の5分はインドネシア語、残りを英語でと思い立ちました。医局で学ぶ研修医に英語の原稿を現地語へ翻訳してもらい、ルビをふり、彼女の声を録音しました。旅の途中、ウォ-クマンでこれを聴き続けたのです。結果は大受けで、終わるやいなや聴衆に囲まれ、現地語で話しかけられたほど自然な発音だったようです。
会場に一人、日本人がいました。国を出て久々聞く日本語でした。式典を協賛していた日本の歯科器械メーカーのインドネシア駐在員でした。会場にはピカピカの治療台が展示されていました。日本で役目を終えた治療台が、その後どうなるのかが分かりました。
講演後、学部長らの接待を受けました。インドネシアは世界最多のイスラム教徒の国です。歯学部長には奥さんが4人おりました。各家庭を円満に営む彼は、山姥一人に手を焼く私にはスーパーマンに見えました。この辺、詳しくはまたの機会に。
P.S.:私が編集委員を務めたデンタルダイヤモンド春季増刊号「安心・安全な高齢者診療」が3月20日に出ました。私も 1章担当しました。よろしかったら是非!