2009.3月号
2月24日に当院で開かれた城南7歯科医師会懇談会でお伝えいたしましたが、3月31日をもって荏原病院を辞し、昭和大学歯科病院に移籍することになってしまいました。
私は去年還暦を迎えたアラカン(アラウンド還暦)、団塊世代です。リストラや肩たたきにあうのが普通です。20年近く大学で過ごし、研究より臨床が好きだったため、大学にいるべき人間ではないと結論づけました。大学人に戻ることなど望んでも叶わない立場であることは、お分かりいただけると思います。
16年前の暑い夏、総工費450億円をかけて造られた都立荏原病院の偉容を初めて目にしたとき、「是非ともここに来たい!」と心の底から思いました。おかげさまで地域の歯科連携医の皆様からは「駆け込み寺」とのありがたい称号をいただけるまでになりました。石橋を叩いても渡らない慎重な性格でもあります。父も都立高校の教員をしており、親子2代、都の公務員であることを喜んでくれていました。
こんな私に、宮崎隆昭和大学歯学部長、岡野友宏病院長から、「歯学部に元気が欲しい」とのお誘いをいただきました。1年半以上前のことです。昭和大学歯科病院でさらに広く病診連携に取り組んで欲しい、とのオファーでした。家族からは「荏原にいるアナタが一番生き生きしている」と言われ、自分もそのように感じていましたので、丁重にお断り続けて参りました。私をよく知る先輩が「確かに大学には向かないだろうけど、どう生きてもあと4年。請われたら応じてみてはどうか」のアドバイスに動かされました。
私に予定されているポストは「総合歯科・(地域連携担当)」といいます。荏原病院歯科口腔外科とこの科の両方を効率的に組織し、患者さんに適したところで受け入れるようにしたいとのことです。城南地区の皆様にサービスする私のカードが、荏原病院に昭和大歯科病院が加わり、倍に増えたと理解してくれ、と説明されています。
歯科医になって35年余り、荏原病院での日々を通じ、見えない力が私をよい方によい方に導き続けてくれているように感じて来ました。怠け者の私ですが残されたあと4年足らずを昭和大学歯学部と荏原病院のために頑張ってみます。
私の後任は当科の研修医OB小林誉先生です。当科で研修後、新宿の国際医療センター歯科口腔外科でシニアレジデントとして、数多くの経験を積んだ当科にうってつけの人間です。長谷川士朗医長以下、齋藤浩人、小林、阿部華織の常勤4人体制で今まで以上に、皆様のお役に立つ体制となります。私も週に1回は荏原に参りますし、本コラムも年に何回かは書かせていただく予定です。
昭和大学歯科病院での本格始動は5月に入ってからとなりそうです。昭和大学でも荏原のように敷居を低く、電話一本で急患に即応する体制を整えて参ります。紹介いただいた患者さんのためになる受け入れ体制を2つの医療機関で整え、ゆくゆくは夜間でも今まで以上にお役に立てる体制を整備します。お困りの際はいつでもSOSをお待ちしています。
これでお別れではありませんが、一応の区切りとなります。16年間、本当にありがとうございました。今後とも私と荏原病院歯科口腔外科、昭和大学歯学部をよろしくお願いいたします。